Published: 2025年11月5日
清州城は大混乱であった。
先日の台風と大洪水で、清州城の塀が壊れてしまい、早急に修理しなければならない。なのに、職人が働こうとせず、修理が始まらないのだ。
信長様は阿修羅のような顔で怒っておられる。その顔を見た人は、真っ青になって飛び上がり、恐れおののくしかない。あれは人を殺す時の信長様の顔だ。みんなよく知っているのである。
ただちに普請奉行が、呼び出された。
奉行の説明は、職人を厳しく叱ってもぜんぜん言うことを聞かないから工事が始まらないのだ、と言う。
そんな言い訳を信長様が許すはずがない。
言うことはそれだけか、と信長様は言い放ち、太刀持ち役から受け取った刀をひっつかんで、鞘から刀をサラサラと抜きながら奉行に向かって歩いてゆく。
ああ、奉行、死んだな。
誰もが奉行の死を確信した。
まさに信長様が刀を振りかぶったその時。
「この藤吉郎にお任せくだされ!三日で清州城の塀を修理してお見せします!」
と、藤吉郎が躍り出たのであった。
「やってみろ」
藤吉郎は、その場で普請奉行になってしまった。
ともかく時間が無い。
藤吉郎は、大急ぎで塀の破損箇所を見て回り、状況の確認をした。
そして、職務放棄中の職人たちを集めて、酒を振る舞い宴会を開始したのだ。なぜ職人たちが働かないのか、本音の理由を聞くためであった。
ちなみに新入社員の方は覚えておくと良いのだけれど、木下藤吉郎こと羽柴秀吉は下戸である。お酒は飲めない。なのに、飲み会の効用を非常に上手く使っているし、ナチュラルハイで酔っぱらい並のテンションになれるのである。アルコールには頼らん、と。だから、飲めないから飲み会行きません、は言い訳にならないのである。はっきりとお前らとは飲みたくないです、と言って社内の飲みを断るといい。(※嘘です)
職人たちの言い分は、約束の給料が貰えないからやる気にならない、との事だった。
やはりか。
と、藤吉郎は思った。普請奉行が職人の給料をピンハネしていたらしい事が分かった。どいつもこいつも約束を守らないクソ野郎ばかりだ、と。
「よーし、分かった!今回のお城の塀の修理は、信長様から職人のあなたたちに直接お金を手渡しするように言ってみる!この藤吉郎を信じてくれるか?」
「そんなの無理だ!職人のおれたちに信長様みずから褒美なんてあり得ない!」
「ならばこの藤吉郎の首を賭けよう。ダメだったら腹を切る!」
そう言われると、職人たちも引き下がらざるを得ない。この藤吉郎と言う人は、職人の自分たちを卑しむそぶりが全く無く、頼みにしている事を全身で表現してくる。助けてやりたい気持ちになるのだ。
「破損箇所を10等分にした。棟梁10人に分かれて各ブロックを担当して、一番最初に修理を完了させた組には3倍の褒美を取らせる。これも信長様にお願いしてみる!」
時間が無い。
藤吉郎は、信長様のもとに急いだ。
信長様から手渡しで職人たちに褒美をあげてほしい事、10チームに分けて競わせる戦法を考えたので1位のチームには褒美を増額させてほしい事、と。
「いやだ」
と言ったら?信長様は、意地悪そうに藤吉郎を眺める。藤吉郎はひるんだが、腹の底から勇気を振り絞って答えた。
「首を賭ける!」
だろう?と、答えたのは信長様のほうであった。藤吉郎はカクカクと首を縦に振る。怖いくらい頭脳の切れる殿様だ。
ひらひらと手を振る信長様。満足げな表情である。いいぞ、やってみろ、と言う信長様の合図だった。
藤吉郎はすっ飛ぶようにして職人たちのもとに戻った。
すると、なんと、職人たちは既に宴会を中止して、各組が競い合って塀の修理に取り掛かっているではないか。夜が更けても、どの組も休もうとしない。お互いを牽制しあって、休むに休めないのだ。不眠不休の修理である。
藤吉郎もそれを見て、気力が湧き、疲れが吹き飛び、夜中じゅう、それぞれのチームの持ち場を巡回して、大声で励まして回った。
「1位を取った組には、約束の褒美の3倍を取らすぞ!」
その声に、職人たちも応える。
朝になった。
不眠でボロボロの藤吉郎は、そのまま信長様に報告しに行った。
「塀、全部直りました」
嘘だろ、と信長様は信じない。
1日で直る訳がないだろう。
が、現場に行ってみると、本当に全ての破損箇所が修繕されているのである。
信長様はたいへん機嫌が良くなり、その場で金銀を掴み取りにして、多額の褒美を職人たちに与えたのだそうな。
これが日本史上最強の新入社員こと、木下藤吉郎の一年目の仕事である。新入社員の方は、何か参考になったであろうか?
この後の藤吉郎は、墨俣一夜城や、美濃三人衆の寝返り工作など、それまでの『武士の常識』を覆す、新しいスタンダードを次々と打ち立てて、破竹の出世街道を驀進することになる。
おせっかいな事かもしれないが、藤吉郎の仕事の流儀を一言でまとめると、
「いつも命懸け、そして約束を守る」
という事である。その1からその3まで、一貫して命を賭けものにして丁半博打をしている。そして約束は守る。この後もずっとそう。
この人は、天下を取るその日まで、命をチップに勝負し続けた。一度でも負けたらあっさり死ぬという勝負を、ひたすら勝ち続けたのだから恐るべき強運と言うべきである。
まあ、現代日本の勤め人世界では、「命を懸けます(キリ)」と言っても上司は信長様じゃないし、どうせ死にはしない。どんどん命を懸けるといい。命懸けたもん勝ちの法則である。
をはり。