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資本主義の重力によって、人は魂を縛り付けられる。

一章【これからのカネの話】勤め人卒業へ

Published: 8/21/2025

人は、腹が減る。メシを食わないと生きていけない。

人は、眠くなる。夜は家で寝ないと次の日動けない。

人は、汚れる。風呂に入って体を洗って清潔でいたい。

人は、裸だ。洗濯の行き届いた衣服を着ていたい。


単に生命を維持して行くだけのために、たくさんの資源や他者の助けや科学技術に頼らなければならない。人は生きているだけで金を食うのである。


お金無しに生きて行く方法はあるか?

と言われれば、それはある。


他人の食べ残しを漁って食べる。

雨風が凌げる橋の下で寝て、

川の水で身体を拭き、

埃だらけで真っ黒になった服を着る。


確かに生きては行けるだろう。

人間は生きると言う一点にかけては、かなりしぶとい。

ひとたび動物の本能に任せ切ってしまいさえすれば、生命を維持するべく物凄い底力が発揮されて、人はそうそう簡単に死ねるものではなくなる。


しかしである。そこに人間の尊厳はあるのか?

この際だからはっきり言ってしまおう。

無いよ。無い。

他人の食べ残しを漁って、果たしてそこに人間の尊厳があるのか、って話。


然るべき金銭を支払って食物を買い求め、

近代的な家屋に住みそこに起居し、

あるいはシャンプー、あるいはボディソープにて身体を洗い、

洗濯した衣服を着て清潔な身なりを保つ。


これによって初めて、人間の尊厳、市民としての面目は保たれるのである。

人間の尊厳は貴いものだ。

他者からは、何があろうと自分の尊厳はおかされてはならないし、他者の尊厳は自分がどれだけ優越的地位にいるとしても踏みにじってはならないのである。

人は同等なのである。


しかし人間は、尊厳と言うとても崇高な精神を手に入れてしまったがために、皮肉なことに、大きな代償を支払うこととなった。

人間の尊厳を守るためには、金が要る、と言うことだ。

金を得るためには、働かないといけない。

収入を得る事は即ち、勤め人となって、他人からの酷使を受け入れると言うこと。

収入を得て、衣食住の用を足し、ようやく尊厳が守られるからである。


人は尊厳を抱いて生きて行くだけで、お金がかかる。

衣食住の経費が、重荷となって常に両肩にのしかかって来る宿命にある。

経費と言う名の資本主義の重力に、負けて潰されないよう、人は収入を得て、抵抗しないといけない。


「自分の尊厳を守れるだけの収入が欲しい」

と、労働者は言う。


「お前の尊厳を守れるだけの給料をやろう」

と、事業者は言う。


ここに労使の関係は成立する。

繰り返しになるが、事業者は、労働者の生活が成り立つだけの金額を給料として払っているのであって、労働者に豊かさを感じて欲しいとか、独立のための余剰資金を与えようとか、生活の用足し以上の金を渡す言われは一切無いし、また考慮してもいないのである。