Published: 2025年9月2日
大企業の人事部で働く人もまた勤め人である。
自社の給与体系が『給料=労働力の原価』で決まっていることを、はっきりと理解しているかどうかは怪しい。
「そういうものだから」と言う前例主義か、漠然とした感覚で給与規定を眺めているのであろう。しかし、背後には、資本家の断固とした意志がある。従業員の給料は絶対にぶれない基準により決められているのだ。
例えば、新卒の男の子の新入社員が居たとする。彼の給料は、安い。年功序列だから安い、と言う事ではなくて、彼は自分の労働力を再生産するために必要な経費が安いからだ。自分一人の住まい、食べ物、衣服、その他の趣味、で事足りる。
「お前の労働力を回復させるのに必要な経費は、だいたいこんなもんだろ?」
と言う事で決まる。
じゃあ窓際社員のおじさんの給料はなぜ高いのだろうか?仕事の能力や成果と言う点では、若手エース社員の方が、優れたパフォーマンスを発揮しているかもしれない。でも若手エース社員の給料は、窓際おじさんよりずいぶん安い。なぜか?
窓際おじさんのほうが、生活を維持するコストが高いからだ。お父さんは一家の大黒柱として、家族の住まい、家族の食べ物、家族の衣服、そして子供の教育費に莫大な支出が求められる。
お父さんが労働力を回復させて、明日も元気に会社に来るためには、その家族の元気も回復させないといけない。家族がひもじいと、お父さんも力は出ない。
だから給料は高い。しかしながら、給料が高い窓際おじさんが贅沢な暮らしをしているか?と言うと、そんな事はほとんどなくて、やっぱり生活ギリギリになるように給料は決められているのである。
実は、イケイケの若手エース社員の方が可処分所得は圧倒的に高かったりして、より多く文明を享受していたりする。おじさんはお小遣い制で嫁からぎゅうぎゅうに絞られて苦しいものなのだ。
「なんで仕事しねえ窓際が俺より給料もらってんだよ!?」
よく聞く話である。でもこう言う人間は一生勤め人だろうと思う。観察が甘い。
給料や年収を額面だけで見てしまい、必要経費を見落とすのは勤め人にじつにありがちな物の見方だ。奴隷根性はいつも現象の表だけを見て短絡的に解釈し、背後の事情を忖度(そんたく)しない。
ところで、車や冷蔵庫、果ては工場や原子力発電所にも耐用年数がある通り、労働者にも耐用年数が存在する。
労働者の耐用年数というのはつまりトシ取って働けなくなる年齢まで、という事だから、10代後半~20代前半で労働者として労働市場に参入した人は、通例では40年ほどで耐用年数を迎えることになる。その後は知っての通り、年金貰って引退だ。
事業者は「労働者が明日も元気に会社に来れる最低限」だけのケチくさい給与水準でやっていくと、40年後になって労働者が耐用年数切れを迎えた時に、『替え』がいなくてたいそう困る事になる。『労働力の再生産』というのは、食べて寝て起きて、本人が明日元気に会社に来られる、だけじゃ足りず、次の世代の労働者育成に必要なお金も経費として認められ、給与水準が決められねばならぬである。
悪辣な事業者であれば、次世代の再生産なんか知ったことか、今この瞬間儲けたいんだ、と、労働者を一代限りの使い捨てにする場合もありうる。
実際そう言う企業が増えていて、昨今の少子化の一因となっていると聞く。もはや企業の体力では子の代の再生産まで担えない、と本来負うはずの社会福祉の役目を放擲(ほうてき)しているのである。
いきおい、昨今の少子化の流れが決定的となる。
企業が労働者を使い捨てにして、労働者(国民)が再生産されないとマジシャレになんねーのは国家なので、国も様々な手管を用いて子育てする世代に金を配分するように頑張っているみたいである。
労働力、労働者はそうやって再生産されて行くのだ。
そしてそれに必要と認められたお経費ぶんが、給料となって支給されるのである。
勤め人のお医者さんが給料高いのは、子供も医学部へ行かせたかろう、という上乗せも含んでいるのである。窓際のおじさんの給料が高いのもつまりはそう言う事だ。
労働者の子どもは、労働者なのである。