Published: 2026年2月6日
商品を生み出すためには、商品を作るのに必要な『生産設備』を持っておらねばならぬが、この生産設備を持つ人間を、資本家と呼ぶ。
事業家と資本家は本来別個で、まったく異なる役回りの物であるのだが、未だに我が日本国においては、
「事業の可能性に投資する」
という真の意味の資本主義が根付かず、担保主義しか認められない金融基盤ゆえに、事業家が大きなリスクを取って(借金するなどして)生産設備を仕入れ、資本家も兼ねねばならない。
『社長』と言えば、事業家であり同時に資本家でもあるのだ。
ま、そう言うルールと思ったらいい。
そもそも西洋発の資本主義というのは、大航海時代が源流である。
命を賭け物にする船長と水夫、これに分散して投資する(船や航海に必要な生産設備を揃えてやる)資本家は当然別物なのだ。
ところが日本の資本主義の源流は、江戸期の豪商にある。
もっと言うと、室町期の馬借とか車借が資本主義の祖先。
そもそも資本主義の成り立ちが違うんやな。
閑話休題して、もう一歩勤め人を理解するの話を挟むが、勤め人は、商品を持っていないだけでなく、『生産設備』も持たない。
上に述べた事情によって、日本では伝統的に生産設備の所有は借金とセットの関係であり、事業家と資本家もセットであるが、義務教育では借金のやり方は絶対に教えないし、世間知らずの先生らは「借金=悪」と教える。
普通に育つと、カネの調達の仕方が分からない。
「元本返済+利子」の支払いよりも収益が大きく見込めるビジネスモデルならば、借金は素晴らしい事だ。
借りれば借りるほど、生産設備を増やせば増やすほど、商品の産出もますます増えて、お金の流れ込む量も増やせる事になれる。
何と言っても、借金が出来ないと選択できるビジネスモデルの幅が極端に狭くなる。
大がかりな生産設備や、人の手間が必要な事業は、選べない。
具体的に言うと、知識集約ビジネス以外に選択肢は無くなり、労働集約ビジネスや資本集約ビジネスが展開出来なくなる。
資本家の話に戻るが、資本家は『生産設備』を持っていて、家だとか、工場だとか、機械だとか、何かしらの設備を専門に取り扱い、必ずその設備について専門的な知識を持っている。
大航海時代の資本家は、『船』という設備に関して、マニアックな知識を持っていたに違いない訳で。
仮にお金しか持っていない『資本家』が居たとしても、投資先の生産設備については絶対に詳しいし、詳しく知ってる生産設備にしか投資しない。
基本的に生産設備は事業家相手に貸し出す物であり、事業家はレンタル料を支払う。
このレンタル料によって、資本家はお金を手に入れ、勤め人から労働力を買って、衣食住の世話をさせるのである。
投資家とは資本主義の頂点に君臨する天然記念物みたいな人だ。
純粋に株式や債券の運用益など金利のみにて生活している人である。
ビジネスや生産設備について自分で企画したりリスク取ったりはせず、『お任せ』である。
ちょっと運用益が出れば良い、食べていければいい、という考えだ。
稀な人である。
しばしば勤め人マインドの塊のような勤め人が言う言葉に、
「事業家や資本家はよくわからないから、投資家を目指したい」
というのがある。
そんな人に、
「ふーん、じゃあ、投資家って何?」
と訊くと、面白い答えが返ってくる。
勤め人いわく、
「投資家とはお金に働かせてお金を増やす人だ」
と言うのである。
確かにその通りだが、僕にはよく意味が分からない。
お金を元手にお金を増やす人は、事業家だろう。
お金を元手にお金を増やす目論見が、ビジネスモデルであり、事業家はビジネスモデルを回す専門家だ。
資本家は、元手が無い事業家に生産設備を貸してやったり、生産設備を買うお金を出資する。これもお金でお金を増やす人だ。
事業家も資本家も必ずビジネスモデルや設備に精通している。
そうじゃないと儲からないからだ。
鍵となるものは、やはりビジネスモデルであり、商品である。
勤め人は、お金持ちになりたいと思った時に、株や外国為替、仮想通貨などにカネを投入することが投資家の仲間入りだと思っているが、実はぜんぜん間違いだ。大間違い。
勤め人にはビジネスモデルの概念が無い。
だから博打しか思い浮かばないのである。
株式投資は本来、凄く奥が深くいものだ。
投資対象の企業の生産設備、マネジメント、会計、要するにビジネスモデルについて完璧に精通していないと、その株価が高いとか安いとか分かる訳が無い。
株のプロ()を自負する証券会社の営業マンでさえ、誰一人としてビジネスモデルが分かる奴なんか居ない。彼らこそ社畜の中の社畜である。
外為や仮想通貨に至っては全くの博打だ。
勤め人はなぜ事業家や資本家を目指さずに、どう言う理由で投資家を目指そうとするのか?
ズバリ指摘すると、彼らはビジネスモデルを避けて通りたいからである。
資本主義の市場に交換に値する商品は何か?を考える事も嫌だし、その商品を作るための生産設備を揃えるのも嫌なのだ。
ビジネスモデルを創意するためには、考える事が非常に多い。
「考えるな、理不尽を当たり前と思え」
と、勤め人の美徳を叩き込まれて来た人に、
「創意工夫と自己責任」
を説いても、まったく反応できないのである。正反対の生き方だから。
投資家と言われて来た人たちは実は事業家だったり資本家だったりするのだから、投資家とはただの言葉だけの存在なのかもしれない。
自分の商品が無いと、一生自分の労働力を売り続ける事になるし、ビジネスモデルが分からないと、この資本主義の世界のルールが何が何だか訳が分からないまま生きていく事になる。
ビジネスモデルの理解はとても大切な事であると思う。
をはり。