Published: 2026年2月6日
錯覚に二種類あり、という話。
「きっと自分には出来る」
という錯覚と、
「どうせ自分には出来ない」
という錯覚である。
ここで人間の二種類について触れる。
頭が良く、資本主義世界のルールをよく読み取り、成功して金銭的に豊かになってゆくタイプの人間と、資本主義のルールを読み取れる知力が無く、訳も分からぬまま社会の下層構造に組み込まれて詰んでしまい、誰かに搾り取られながら一生を終える人とが居りますよ、と。
上にあがれる者と、下に組み込まれてしまう者と、両者を分ける要素は何か?について、『錯覚』という切り口で解説を試みるのである。
いきなり趣旨を述べるけれども、下に組み込まれるタイプの人々が共通して持っている錯覚がある。
ギャンブルに対して、
「きっと俺は勝てる!」
と考えてしまう。錯覚である。
もう見事に共通している。
ところが、事業や商売にまつわるリスクを取る局面では、ギャンブルの時に発揮されていた勇ましさはどこに行ったのであろうか、
「どうせ俺には無理」
と悄然として、怖気づいてしまうか、面倒くさくなってしまう。
これも共通している。
商売上のチャンスがあってもあれこれ言い訳して乗っていかない。社会の底辺で下働きを続ける。
確率論に関する捉え方も似たような心理偏向があって、例えば、競馬の払い戻し率は80%ですよと言う話があったとしても、
「いや、俺にはそこを出し抜くテクニックがある!」
と、目をギラギラさせて力強く反論する奴は、本当に多い。
二万歩譲ってやるとして、仮に馬券で大衆を些かでも出し抜く手法があるとしたら、それは単勝と複勝を組み合わせた物になるのだろうけど(※それでも望み薄のゲームだ)、なぜだか弱い奴は『三連複』が大好きで、「本命以下、三連複を流す」みたいなやり方が大好きだったりする。(※なら単勝買えばええやん)
ところが、事業や商売上の確率論になると、とたんに腰が引ける。
たとえば、ブログ書いてお金を稼ぐ人の統計みたいな物があるとして、ブログその他で月に5000円以上の収入を得ている人は、全体の10%ですよ、9割の人が収入はほぼゼロのゴミですよ、みたいな数字を出すと、
「ああ、俺には無理だ」
とすぐに諦める。
更に、月収入30000円未満のレンジだと全体の6%ですよ、月50000円未満で5%ですよ、という数字が出てくると
「ネットで収益を出すのはそもそも無理で、やるだけ無駄」
とか開き直る訳だ。
不動産もそう。大半の人が一つも物件買えずに「大家()」を終える。
自己責任でリスクを負うのが怖くなり、動けなくなってしまうのだ。
そもそも貯金できなくて、自己資金が30万しか無い、と言うやつも居る。
貧乏人は、賢い俺様は事業で収入を得る確率は統計的に極めて低いのを知っていて、無駄な努力だからやらない、とか言い、その足でパチスロに行くのである。
この錯覚の様式を正さぬ限り、資本主義の世界で楽しく生きるのは無理だ。絶対に貧乏になる。
非モテの逆をやればモテるのと同様、貧乏人の逆をやれば金持ちになれる。
貧乏人がよくする確率論の錯覚とは、
「ギャンブルでは強気になり、商売や事業のリスクには弱気になる」
というものである。
実はギャンブルだからとか事業だから、というのは、このブログの文章上のカラクリであって、僕は種明かしをしてしまうのだけれど、貧乏人が弱気になるのは頭を使うプロセスが多いから、これが理由だ。
考える、調べる、決断する、実行する、継続する、検証する、改良する、などなど、頭を使う過程が多くなる物事ほど、貧乏人は弱気になるのである。
頭を使う事が少ないほど、貧乏人は強気になれる。
では、事業家や資本家の人々の錯覚とは何だろうか?
「ネットの収益化は9割の人が収入ゼロです」
と言われた時に、
「じゃあ全体10割のうち、本気出した奴は何割なの?口だけ野郎で何も行動しなかった奴も含まれるだろ?その確率論に何の意味があんの?」
と、言ってしまえる『錯覚』を持っているのである。
次回詳しく解説する。
つづく。
震えて待て。