Published: 2025年11月23日
人は生きて行くだけでお金がかかる。
健康な心と身体を維持するための支出は、あたかも重力のように、ずっしりと人にのしかかり続ける。
人は重力に押しつぶされてしまわぬよう、仕事をしてお金を稼ぎ、支出と相殺する。
労働で得た収入は残らない。
給料を払う側が、残るか残らないかギリギリのところを狙って給料額を設定するからだ。
かくて勤め人の支出と収入は均衡し、勤め人は重力に縛られて、地上世界を歩いて生きて行くのである。
いつもお金は無い。
重力に負けじと、両の脚に渾身の力を込めて、大地を踏みしめ歩く人たちがひしめく一方で、
フワフワと浮いている人がいる。
生きるのに必要な支出よりも、入ってくる収入が大きいからである。身体にかかる重力よりも浮力の方が大きい。ゆえに身体が浮く。
不動産収入や印税など、自らが手を砕いて働かずとも得られる収入を持っていて、その収入が支出を超えるのである。
働かなくても生きて行ける。
働かなくても貯金がどんどん増える。
なぜか?
生産設備を持っているからだ。生産ラインから商品が生まれる。その商品を売ると収入になる。
生産から販売まで、人の助けを借りつつも、オートメーション化していれば、遊んでても貯金が増える事になる。
増えた貯金でまた生産設備を買う。すると、また収入が上がる。更に貯金が増える速度が上がる。
お金はどんどん余るようになっていく。
なぜなら、人間が命を維持するに必要なお金なんぞはたかが知れているが、資本家が商品を売って得るお金に制約は無いからである。
こうして資本家は、さほど頑張って働いてる訳でも無いのに、ますます財産を膨らませて行く。
勤め人は、相変わらず地べたを這いずったままだ。稼いだお金は全部遣う。
この差は一生埋まる事は無い。
だが、スタート時点の差は、ほんの微々たる違いだったはずである。