Published: 2025年11月23日
※多忙につき、昨日の更新を飛ばしておりますが、近々埋め合わせる所存。今日も多忙であるが、二日連続飛ばすと埋まらなくなるので、秘蔵の備蓄を放出。
--------
今日、何気なくコンビニで漫画を立ち読みしておりましたら、久しぶりに『へうげもの』が目に留まった。
作中でわざとらしく名前を呼ばうのがこの漫画の通例であるのだが、
「小堀遠江守殿!」
と言うセリフに視線が吸い寄せられるように感じた。
「ほう!もう小堀遠州(こぼりえんしゅう)が出て来る時代か!」
へうげものも、どうやら最終章のようで、僕がまだ大学生だった頃に始まった漫画なだけになんとも感慨深い。
小堀遠州と言えば、『茶の湯』の文化って事で言うと、最後の人と言っていい。
そうだな、ある文化物や流行物の『流れ』や『潮目』を読む、と言うテーマで茶の湯を肴に一筆書いてみる。(※コアな読者向けかな)
お茶と言うのは中国原産である。日本に茶っぱを持ち込んだのは留学僧である。お茶飲んで、あー美味しい、と言う素朴な時代。
それが室町時代の貴族化した守護大名や、平安貴族の生き残りみたいな奴らの間でお茶飲みが流行りはしたが、その茶会の目的は中国から輸入した超豪華な茶器の品評会であった。
高給勤め人たちが時計と車の自慢する大会ようなもので、何の風流も文化の発展も見られない、下品な集いが当時の茶会であった。
ここに新風を呼び込んだのが、村田珠光というお坊さんであった。
「茶器自慢なんかくだらねえよ、四畳半の狭い部屋でお茶の味とか雰囲気を楽しもうぜ」
と言うのである。スポンサーをしたのは例によってクソ野郎こと足利義政である。
ちなみに四畳半も、この義政が書院造という建築様式にて生み出したものであり、今なお日本建築に立派に残っている。更に言えば、茶道の誕生にも義政が関わっている訳で、日本人の文化面(ジンガイが日本に来て大喜びするやつ)のほとんどに関わっているのである。
村田珠光から70年後、尾張で織田信長が家督を継いでいよいよ戦国時代の始まりという頃、大坂に、武野紹鴎と言う茶人が出て来て、茶道を再興する。
70年も経ってる。義政と珠光は70年先の事を先取りしてやっていたのだ。
やっぱ義政と言うやつは仕事も勉強も出来ないどうしようもないクズだが、天才中の天才なんだろうと思う。
つづく。