Published: 2025年11月7日
資本家が大切にしている価値観は、倹約、勤勉、再投資であると言う話をした。
生産を拡大し、自分の商品を更にたくさんの人に売りたいと言う事が願いであり欲望である。自由に遣えるお金があったら、新しい生産設備を作るのに遣いたい。故に贅沢品を欲しいとは思わないのだ。
労働者が大切にしている価値観は、強欲、消費、虚栄心である。
良い服を着たい。良い小物を持ちたい。良い車乗って、良い家に住んで、年に何回かの海外旅行は必須で、子供の教育にも湯水のようにお金を遣うのが正解だと考えている。お金を遣いまくれる人が素晴らしい人である、と言う価値観を持っている。
この価値観は、TVや雑誌などから溢れてくる。
TVや雑誌は、
「俺たちが言う通りにお金を遣ったら、他者から尊敬されたり女にモテたりするよ」
と、この世界を説明してくれる。
美しい見た目の男女らが、楽しそうに文明を謳歌している映像が映し出され、
「こっちの世界に来たいなら、このグッズを買え」
と、リアリティもって語りかけてくるのである。
買えば、ああなれる。
お金さえあれば、買える。
ああ、お金を遣いたい。
だからお金が欲しい。
実に短絡的なプロセスだ。
同じ資本主義世界の中でも奉じている思想と行動様式が異なると言う事である。
ところで、話は変わるのだけど、我々日本人にとって馴染み深い宗教に仏教がある。
開祖のお釈迦様が悟りをひらいた経緯はだいたい以下の通りだ。(違ってたらすまん)
貧乏人は腹が減って苦しい辛い。勤め人も通勤地獄やおこづかい制やセックス不足が苦しい辛い。お金持ちもこの先財産を維持できるのか不安で苦しい辛い。王様も他国から攻められはしないか暗殺されないかで苦しい辛い。
お釈迦様は、誰もがその人らなりに辛いと言うことに気がついた。
殿様みたいな恵まれた境遇の人でも辛い。なんでか?
それは感情をコントロール出来ていないからだ、と。
感情をコントロールして、腹が減ったことに苦しみを感じなくなれれば、人は苦しみから救われる、苦しみから逃れるライフハックみたいなものを説いた訳だ。
だが、悟りを開くためには、厳しい修行が必要だし、肉食っちゃダメだし、セックスしてもダメだ。苦しみから逃れるには、楽しいことに楽しみを感じてはいかんと言うのである。
ところが、多くに人には生活に追われて厳しい修行なんか出来ぬし、腹減って飢え死にする人がいるのに「俺は腹減っても苦しくないよ」なんて、言えたものじゃないのだ。
元祖仏教とは、所詮はエリートのためのものなのであった。
続く。
※昨日はブログをアップできずすみませんでした。完全に備蓄が底をついた状況を露呈しております。なんとか毎日更新頑張って参りたいと思います。今日の夜も更新して補いたいと思います。