Published: 2025年11月9日
お釈迦様が説いた元祖の仏教は、厳しい修行と禁欲を経て、精神をコントロールを身に着けた後に、苦しみから救われるのである。
本人がある程度頑張らないといかん。
一方で、日本の大衆に支持された一向宗は、南無阿弥陀仏と唱えるだけで死後極楽に行ける、と説いた。
一切の努力は要らない。絶対他力により救われるのである。
ところでだ。その後、一向宗がどうなったかはご存知だろうか?
まず、織田信長の石山合戦によって瀕死の打撃を加えられた。
その後、徳川家康によって東本願寺と西本願寺に分割され、お互いを憎しみ合うように仕組まれた。まさに、分割して、統治せよ、である。
ちなみに、石山合戦の頃の一向宗門徒は、
「仏敵を殺せば極楽往生、戦って死んでも極楽往生」
という指導を受けていた。
石山本願寺に建て込もった門徒たちは、ろくに飯も食わせてもらえず、ろくな武器も防具も無く、根性と信仰心だけで、最新兵器を擁する織田信長の軍隊と戦わされるハメになった。
喜んで戦い、喜んで飢え、死にまくった。
織田信長は異常なこだわりをもってして、一向宗の門徒たちを皆殺しにして行った訳である。
開祖の法然上人も親鸞上人も、「そんなこと言ってねえよ!」の話であろう。
「誰でもできる!」
「努力は要らない!」
「簡単!」
それを信じて自分の命を預けてしまった人たちの末路は、悲惨なものになるようである。
さりとてだ。
お釈迦様の説いた元祖仏教の道を突き進み、肉食妻帯を禁じ、セックスしないで遺伝子が絶えてしまうのもまた『悲惨な末路』と言うことが出来るのである。
どっちもどっちなのかもしれない。
ただし、お釈迦様の仏教徒の方は、行こうと思えば、南無阿弥陀仏の方の仏教徒になれる。逆は無理。
資本家は商品を作って作って売りまくる事が最高の喜びである。
金儲けのために、積極的に質素倹約の生活を送る。
自分の商品をもっと作ってもっと売りたいがため、メディアを通じて
「商品を買いまくることは良いことだ!消費するのは良いことだ!ときめかなくなったグッズは捨ててしまえ!」
と、繰り返し発信する。
勤め人は、情報を受けて、商品が欲しくてたまらなくなって、買う。
この構図も、どっちが幸せかは分からない。
資本家はお金をパーッと遣ってしまうことを馬鹿だと思っている。不幸な事なのかもしれない。
勤め人はお金をパーッと遣えば最高の気分になれる。単細胞だが、幸せな事である。
とっちもどっちである。
だが、資本家の側の人は、お金をパーッと遣って愉しい側の精神には比較的簡単にアクセスできる。だが、逆は無理だ。
貧乏人に資産形成法を説いても、どうやっても倹約が出来なかったりするし、非モテにナンパを教えても、まったく地蔵を克服出来なかったりするのである。
をはり。