Published: 2025年11月19日
人の心はあたかも25℃に室温設定された部屋であるという。
外の炎天下の空気を招き入れれば一時的に部屋の温度が35℃とかに上がりはするが、心のエアコンは懸命に設定温度に保つべく、冷気をガンガン吐き出して25℃に近づけようとする。
逆も然なり、今度は凍える外気を取り込んで、部屋の温度が15℃まで下がったれば、エアコンは暖房モードとなりて暖かな空気をもんもんと送り出すのである。
人には完璧な幸福もなければ、完璧な不幸も無い、と言う喩えであろうか。
まあ何でこんな事を思いついたかと申しますとな、僕もほれ、勤め人卒業が固まって、職場ではいよいよ敵無しとなり、ますます勤めに対する意欲が減退し、なおのこと我が世の春を謳歌するの状況を呈しておる訳です。
そんな生活が1ヶ月続いている。
あれだけ嬉しかったはずのプレ卒業期間が、今や何の感慨もない、いっそう退屈なルーティーンワークになってしまった。
実に普通である。
決まり手が美しく決まり、いい形で卒業出来る。言ってしまえば、僕はまんまと勝ったのだ。
「うおおおおおっっしゃああ!!!」
と、なった。僕の心の部屋の気温は38℃ぐらいになった。
ところが、気づかぬ間に、心のエアコンはガアガアと冷気を吐き出して居たらしい。
客観的にはイイ感じで来てるのは間違いない。仕事も、私生活も、まさに死角無しだ。
しかし、今の僕の心は25℃だと思う。強い幸せも、強い不幸も無い。ぜんぜん楽しくない。
これが吉良吉影の喝破した『植物のような心』という奴デアルカ。
たった一ヶ月でこんな風になるとは思いもよらなかった。
だが、勤め人卒業を果たした後も、きっと全く同じ事が起こるはず、と考えると非常にいい勉強になってはいる。
意識的に、自分に何かの負荷を課す事の必要を感ずるな。
苦は楽の種なのだから。
非モテからの脱出も、主体性を持って効果的な『苦』を選ぶ事が大切な事である。
ジム行って筋トレして筋肉痛になる。
オナニー禁止して辛い性衝動に耐える。
体脂肪を切るために食事制限しひもじい思いをする。
好きでもないブスを我慢して抱く。
ストナンすれば、声掛けした女の子にゴミ扱いされて凹む。つーか、ナンパは全体的に歩き過ぎてむっちゃ足痛いんだけど、これを耐える。
アポの待ち合わせに集合したけどドタキャンされる。
友達として優しい女にセックストライして超キレられる(女の自分に対する本音を見る)。
クリスマスプレゼントあげた瞬間にブロックされる。
などなど。
しかしながら、自由意志で主体的に選んだ苦は、後々、なかなかに楽しい体験になって返ってくるものなのである。
心の部屋の温度が8℃ぐらいまで冷えたところから、ガーンと垂直に35℃まで温まるのは、強烈な快感になるんではなかろうか。
んでだ、非モテが辛い現実から逃げ続け、目先の楽ばかりを貪り続けていくと、最後には自分が最も大切にしている物を奪われる、そんな結末が待っているのであろう。
最も大切なものが何かは言わない。
楽は苦の種ですな。