Published: 2025年11月4日
富の根幹は労働力だ、という話は折に触れて何度もした。
人は無意識に、価値を測る尺度として労働力を用いていて、そこから何となくお金の価値を推測している。100円とか1000円とか30万円とか、金額からイメージする価値は労働力なのである。
今は昔、くだらない勤め人の付き合いで嫌々ゴルフに行った時の事。
僕はそこで面白いものを見た。
自動販売機のアクエリアスのペットボトルが、200円なのである。
ふつう150円やろ、と思った。おいおい、と。
更に、レストランで生ビール中ジョッキが、1000円した。接待ゴルフだからクライアントが飲むと言ったら、僕も満面の恵比須顔で生ビールを飲まなくてはならない。顔は恵比須だけどアサヒを飲んだ。酒好きな人でけっきょく3杯飲まされて3000円だった。
てめえ生中1000円とかふざけんなや、と思った。
だけど、死ぬほど喉乾いてたのでアクエリアスは美味しかったし、お風呂上がりの生ビールだったので確かに美味しかった。快楽、という有用性で加算されているのだろうか。
しかし、なんか得心がゆかない。
それはなぜか?
アクエリアスも生ビールも原価積み上げ方式の『商品』だからだ。原価を分解してゆくと人の労働力に行き当たる。
そして、我々は無意識ながら、アクエリアスと生ビールにだいたいどれぐらいの労働力が込められていて、円貨で幾らの支払いになるのか、おおよその見当を付けているものだ。
僕は、労働力と払ったカネが見合わない、ゆえに、「ぼったくられた」と感じたのである。
居酒屋お探しですかのキャッチでおなじみ、ボッタクリ居酒屋しかり、ボッタクリバーしかり、そう言うお店がなぜ『ぼったくり』と称せられるかと言うと、商品の中身と、払うカネが、労働力に見合っていないからである。
逆も然りで、勤め人やってて「いい仕事したなあ!」という満足感は、貰う給料よりも会社に提供した労働力とか利益が大きく上回った場合なのである。
これはボッタクリの逆。なんせ気分がいい。社内でデカイ顔でのしのし歩けるし、テストステロン値はうなぎ昇りだし、社内のおにゃのことセックス出来るかもしれないし、いい仕事には給料と引き換えに出来ない価値があるかもしれない。
自分が経営者側ならチームのこの種のインセンティヴ設計に頭を砕かねばならぬし、勤め人の立場かつ豪商志望なら「その手には乗らん」と言ってゲームから降りないといけない。
おっと。話がずれた。
ここでの趣旨は、労働力と対価について、人は驚くほどセンシティブであると言う事ね。
無意識ながらかなり正確に見抜いているって事。
商品の価格は原則として原価積み上げ方式で、商品に込められた労働力と価格が対応する関係のものが多いのだが、なかには商品の性質上、労働力と価格とが対応しない種類のものがある。
その元祖が賭博だ。
もう一つの元祖が本。こっちは人類の進歩に資するほう。出版物は、売れ続けるものを作れば労少なくして次々にお金が入る。一回作ってしまえばコピーが容易なのだね。
音楽然り、映画然り、時代が下ってweb上の自己出版などもそうだ。
金融、不動産、保険、広告など、『モノ』が存在しない業態も労働力と対価が相当しない代表である。
労働力と価格が対応しない業態というのは、時に莫大なお金が入る。個人でやればなおさら。
くだらない言葉で表現すると、不労所得、というやつですな。
ところがね、不労所得に慣れてない奴がこれに触ると、だいたい頭がおかしくなっちゃうんだな。特に、欲深いタイプは。
ちなみに僕も一回やってる。大学生の時に株小僧をやっていて、まぐれが続いて大勝ちしまくって、御多分に洩れず頭がおかしくなった。一種の病気だった。修正するのに相当苦労した。若さゆえの過ちである。
ところでね、note.muってありますでしょ。
今日はここまで!つづく!震えて待て!