Published: 2025年11月1日
新築の家を買おうとすると、だいたい「土地から買え」みたいな話になる。
土地の値段は昨日述べた通り、労働力の積み上げ方式ではなくてマーケットメイク方式によって決まる。
勤め人人口の多い都市部や、勤め人としての働き口が豊富な地域の土地が高騰する。
気候が良いとか、空気・水・食べ物が美味しいとか、災害が少ないとかは、そう言うのはほとんど関係ない。土地値は人の集合が作る。
似たり寄ったりな勤め人は、やはり似たり寄ったりな悩みを抱える事になる。
通勤地獄を我慢して郊外に住むか、
ローン地獄を我慢して市街に住むか、
と言うくだらない二択である。
どちらを選んでも地獄というのが、実に意地悪なのだが、両者のトレードオフは美しい曲線を描いてバランスしている事に注目するといい。これこそ神の見えざる手。
僕思うに、勤め人ってマジで、我慢だとか、忍耐だとか、競争だとか、を宿命づけられてるなあと思う。
出世競争もそう。ひたすら我慢比べ。家を買うにも、ローンか通勤かの我慢比べ。我慢、我慢、我慢。
どこに行っても我慢と競争に巻き込まれるのが、勤め人と言う生き方の限界であると僕は思う。
あなたが勤め人であると言う事は、おそらく勤め人の多い地域に住んでいる。
あなたが土地を買って家を建てようと考えたとしたら、おそらく他の勤め人も同じ事を考えている訳なので、奪い合いになる。
下克上の戦国時代だったら、ひと戦つかまつって殺し合いに勝った方がその土地の所有者になるが、現代では、より大きい額のお金で購入意思をあらわすと言う形式の『奪い合い』になる。
勝つ方も、出せる範囲のギリギリの金額で決着となる。生活は苦しいものになろう。
出せる金額争いに負けたほうの勤め人は、通勤地獄を受け入れて少し郊外の土地を求める事になるが、ローンの支払も楽ではないはずで、どっちもどっち、まあ辛い人生である。
労働力という商品は、必然的に通勤範囲と言う制約が付くし、より根源的な問題として、労働力と言う商品は差別化が出来ない。そりゃ、きつくなる訳だ。
住宅は、労働力再生産の超重要パーツである。勤め人の支出の多くを占める。
この問題を何とかして打破しないと、お金と時間を残す事は出来ない。
現実的な解決策は二つ。
一つは転勤族となり、住宅補助を受ける事。
もう一つは、勤め人を卒業して、土地の安い所で暮らす事だ。