Published: 2025年8月26日
口で言うだけで、やらない人というのがいる。
世の中、大半の人がそうかもしれない。
反対に、どれほどの困難と面倒が降りかかって来ても、なんだかんだ最後までやり遂げる人がいる。
前者は何となく流される人生で、いつも自分でやらかした火の不始末を火消しするのに追われ、不平不満ばかり言いながら生きてゆく。後者は人生に降りかかる試練やピンチを、苦労しながら克服し、チャンスに変えて、ますます自分のステージを向上させてゆく。
両者の違いは何なのか?
それがこの年末年始コラムの趣旨である。
とある知人は、若き頃に学業をおろそかにし、中卒で社会に出る事となった。むべなるかな、世の中の風は冷たく、彼はひとくさりの辛酸を嘗めた。そんな彼を憐れに思った親戚が、財産を切り崩して彼に専門学校に行くべき学費を渡した。
ところが彼は、これまでの人生で長期の計画を立て目的の遂行のために黙々と行動し何かを成し遂げた、という経験がない。いつもその場の気持ちに流される生き方をしてきた。
学費をもらったその瞬間、彼は確かに親戚に感謝した事だろう。底辺を這いつくばった社会人生活だ。そこから抜け出せるかもしれない。
だが、その感情はすぐに忘れられて、次なる「その時の気分」に更新されたに違いない。目の前に「緊急に必要でない余剰金がある」と言う事実だけが、その瞬間の真実になってしまって、彼はその学費をパチンコに投入してしまったのであった。
彼は、段階を追って、学校の入学受付やテストの日程を調べたり、その対策のために勉強をするとか、その他もろもろの事務仕事を処理する事が、出来なかったようなのである。
ついに親戚一同から見捨てられた事だろう。蜘蛛の糸は切られたのである。
彼の口癖は
「宝くじ当たらないかなあ」
である。
計画を立てて実行できるとは、いかなる事だろうか。恐縮ながら、我が一族や知人友人にいまだその例を見ないので、僕自身の例になる。
端的に言うと、親戚が亡くなって空き家になった後の一戸建てを、遺品整理して、修繕して、それで賃貸募集をして、貸し出しした。家賃収入をいただける事になり、僕は手出しゼロ円で副収入を得る事になった。
我が親類たちは「あんなボロ屋、賃貸に出すとか無理に決まっている」とか「馬鹿じゃないか世の中そんなに甘くない」と言って、空き家の再生に乗り出す僕を揶揄したものであった。もし彼らが空き家を手に入れても、行動力を発揮して賃貸に出すには至らなかったであろう。
一つ一つ分からないことを調べながら、あれこれ手配をして、家を賃貸に出せるレベルに仕上げて行く。
必要なのは、前向きな気持ちを維持しながら、計画を描いてそれに沿って行動することだ。これが出来ない人には出来ないのである。
「無理」
「できない」
これがキーワードだ。
行動する人としない人とを分かつ物は何なのか。
僕は、それに気づいた。
日常、紙にペンで物を書く習慣がある人と無い人、だ。
PCやスマホをポチポチするという事ではなく、普段から、紙に、ペンで、物を書く習慣があるかないか、だ。
勤め人の飲み会に行く事がある。
飲みの席では、
「いやー、俺も副業したいと思ってるんだー」
人は、行動できない。
みんな、口で言うだけ。
実際にはやらない。どんだけノウハウ勉強してもやらない。
とにかく「やらない」んだ。
一歩踏み出さない。
目の前の事務仕事をバリバリ処理する能力だとか、激詰めの重圧に耐えて営業ノルマを達成する執念だとか、そういう勤め人としての優秀さとは別次元の話である。
未来をはっきりとイメージし、それを具現化してゆく能力は、全く別のものなのだ。
紙にペンで書く、と言っても色々なやり方があるだろう。
よくあるのが、手帳に目標ややりたい事業のイメージを書くというものだ。
経営者によくあるアレね。
自分の欲しいと望むものを書きこんだり、写真貼ったり、想像を膨らませられるようにしておいて、度々これを見返す。
さすれば意志が保てて、着々と大事業に取り組むことが出来るのである、と。
思うに95%の人間は、こんな習慣は持っていない。日常的に紙にペンで書く習慣をだ。
世の勤め人もまた、上の例にある経営者と物理的には同じ手帳を使っているんだろうが、彼らは日々のタスクを消し込むために手帳を使うだけで、自分の夢とかなりたい未来とかを書き込む用途に、紙を使う事はない。
ある種の精神性を発露させるべき対象では全く無い訳だ。
かくいう僕も、やたらと紙にペンで物を書く習慣がある。定着したのは大学生になったばかりの頃だった。
道具は、日記帳だ。
日記帳に日記をつける。
このたった一つの変態性癖によって、様々な大事業をものにしたり、種々の偶然や幸運を引き込んできたという自覚がある。
周りの勤め人の同僚らとは、長期目標の遂行力という点では、比較にならないパワーを発揮できていると思う。
例えば、これは僕の親戚の人の弁だが、
「子どもが大きくなってきて、家が狭いから引っ越ししようと思っている。子どもの事を考えると学区変えたくないし、3LDKぐらい欲しいけどいい物件が出ない。広いと家賃も高くなって辛いし、それならいっそこれを機に故郷に帰って自分の手の職を活かし起業する選択肢もある」
と。驚くべきことは内容の支離滅裂さではない。
1年前も同じことを話していたが、今も全く同じことを言っていると言う事である。
僕にはこれがまるで信じられない(※早くやれよ的な笑)のだが、おそらく、ああだこうだ言うだけで行動できない多くの人の要素が煮詰まって顕れていると思われる。
その特徴は、思考が浅い階層で、広く散り散りになってしまっている事だ。
本来、何が真の優先事項なのかを取捨選択して、整理し、考えを深めて行かないといけない。これでは何から手をつけていいか、全くわからない。口だけおじさんである。停滞している間にも、子供はどんどん大きくなり、血気盛んな怪獣へとすくすく育っているのである。
安い大学ノートでいい。
紙に向かって心を穏やかに、ペンで書き書き、自分の独り言を綴ってゆくことだ。
不思議なことに自分の考えがスッとまとまり始める。モヤモヤ吹きだまっていた悩みがスコーンと頭の外に出て、次の新しい次元の問題が思いつくのである。ずんずんと考えは深まり、進んでいく。
じっくり考えて出した結論は、子供が大きくなった焦りから捻り出す自暴自棄な結論よりも、遥かに精度が高いはずだ。自分の判断にも自信が持てるのである。行動力だけでなく、判断力も高まるのである。
暗算だと、せいぜい一桁か二桁の計算までだろう。
これが紙とペンがあって、ゆっくりと机で書き書きできれば、もっともっと複雑な計算が出来るようになる。
そう、紙にペンで書かない人は、暗算レベルの思考で結論を出そうとする。だからいつもパニック状態なのである。