Published: 2025年11月4日
というブログがある。
僕は密かにRSSリーダーに仕込んでいて、更新ごとに記事を読んでいる。いち隠れファンとして、僕はこの記事を書こう。
初めての人は何のことだか分からないだろうから、僕のおすすめ記事を挙げておくのだけど、
これだ。
歴史狂の僕にとってはど真ん中の記事であった。きっと、当ブログ読者の方の琴線に触れることであろう。要チェックや。
昨日かな。突如として「俺の遺言を聴いてほしい」のブログが凍結されたと言う。
これは死ねる... pic.twitter.com/YkPtX2PElQ
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) 2017年3月30日
自分のRSSからリンクを踏んでも、確かに非公開になっていた。
その時感じたのは一種の既視感であった。
僕の知っている投資家のブログも、過去に大きな凍結騒動があったからだ。
ポイントは二つある。
ブログを書いている投資家の方は、サイトが消えた時の事を振り返って、
「あの時は人生終わったかと思った」
と回顧していた。
彼は投資家というより経営者に近い。事業の方で、売るほどの修羅場をくぐっている訳だし、そういうピンチの時にも慌てず前向きに対処して切り抜けてしまう楽天家肌の人物である。だから成功した。
その彼をして、人生終わった、と言わしむるのである。ブログ消滅のショックの大きさは、想像するに容易ではない。それが一つ目。
結局、一週間で、そのブログは復活した。
運営元へ、熱心な読者からの嘆願が届いたからであった。ブログ凍結の理由は、サイトポリシーに反する言論だったとかで、該当の不良記述を削除して、無事に復活。
ブログ作者、ブログ読者ともに、復活を快哉した、という顛末であった。
運営元も力のあるブログを殺してしまうのは全く本意では無いわけで、外野がうるさく言うから渋々非表示にするだけの事であり、こう言う場合は凍結してはいるものの、ブログデータは大事に保護しているものなのである。だからたぶん大丈夫だろう。これが二つ目。
ブログ突然死の件は僕の知り合いにも類例があって、それはブログ運営側の言論統制によって非開示になったのだけど、熱心なブログ読者の嘆願によって復活した。
ハッカーに突破されて、だと厳しいかもしれないが、理由が前者なら第三者からの復活願いは効果あるはず。僕もはてなに問い合わせしてみる。
— サウザー (@Fist_of_Phoenix) 2017年3月30日
というような次第であるから、この事件は、まあ一週間以内には復活するだろうと思っていた。ブログデータもたぶん無事。慌てることは無い。そう伝えたかった。
僕もボチボチはてなさんに問い合わせしようかな、『俺の遺言~』本当に閉鎖になると困るし、と思っていた訳だ。
はてなブログに投稿しました #はてなブログ
はてなブログ凍結の原因となった「商標権の侵害」について調べてみた。 - 俺の遺言を聴いてほしいhttps://t.co/QSqrLaf5hG pic.twitter.com/5T3AvSQYdp
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) 2017年3月30日
早くも夕方には復旧していたようであった。実にめでたい。
ヒデヨシ公は、はてな社に突撃訪問をしたとの事であった。疾きこと風の如しである。やはり、広義の言論統制がブログ凍結の理由だったようである。
「一流のマーケッターは商機を見逃さない」と言いますが、「燃えてる家の前で野次馬に火災保険を売る」という商売を見事に実践されててすごいなと思いました。
燃えてたのは我が家なので、少し複雑な気持ちですが...。 pic.twitter.com/39RR9GPlil
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) 2017年3月30日
そんな騒動の中、商魂たくましくビジネスする人あり。
要するに、はてなは運営側の胸先三寸で簡単に消されちゃうから、自分の主催するサロンに入会すれば良い方法を教える、と言うのである。
これを見て思ったのが、かつて公家シンジさんが教えてくれたお話。
当時、シンジさんは風俗のスカウトという新宿スワンみたいな仕事をしておられたのであるが、折しも2011年3月11日、東日本を大震災が襲う。多くの人が亡くなったし、多くの人が避難所で耐え難きに耐え忍んでおられる、と。
その時、シンジさんの上司(風俗スカウトの)は、
「おっしゃ!今がチャンス!東北に風俗嬢のスカウトに行くぞ!」
と言って、若い衆まとめて東北に旅立ったと言う。反吐の出る話ではないか。
シンジさんは、そこで風俗スカウトを卒業、ナンパ講師の道へ進む。
シンジさんとは打ち解けてお話をする間柄ながら、やはり掴み所の無い方なのであるが、決定的な行動動機にはいつも良心と好奇心がある。これはおそらく間違ってない。
何を言うかではなく、何をやるかを見よ、なのだ。
つくづく、何を言ってるかよりもそいつが何をやってるか、を見るべしだと思うな。
— サウザー (@Fist_of_Phoenix) 2017年3月30日
僕は思うに、小なりと言えど賃貸物件その他の商品を提供し、お金を得るようになり、勤め人辞めても何とか食って行ける算段がつく立場になってみると、信用とか義理とか人情とか、お金で買えない物(労働力では決して買えない物)の価値が、相対的に比重を増してくる感覚がある。
これ綺麗事じゃなくて。
「起きて半畳、寝て一畳、飯を食っても二合半」
と言う格言がある通り、自分の身体を維持するお金もとい物理的要求というのは、変な贅沢をしない限り、一定額を超えない。金欲には限りがあると思う。性欲もそう。
ヒデヨシ公がブログ消滅して慌てているのに便乗して、自分の商売の宣伝をするのは要するに小銭が欲しいゆえであろう。信用を捨てても小銭が欲しい、と。
東北に風俗嬢をスカウトに行く下種と同類の行動動機を感じざるをえぬのである。その動機とはすなはち、
「実はお金が無い」
あるいは、
「義理や人情に対する価値認識が極めて低い」
このどちらかであろうと類推する。この種の人は、たぶん、簡単に人を裏切る。行動動機は利益、小銭でたやすく釣られる。
立派な言葉で何を言おうと、行動が物語っている。
ベンジャミン・フランクリンの自叙伝にこのようにある。
「空の袋は真っ直ぐに立ちにくい」
とね。
何にしろ、「俺の遺言を聴いてほしい」が無事に復活して、隠れ読者の僕は、ほっと安堵の胸をなでおろすのでございました。