Published: 2025年12月4日
さて、今宵も質問と回答。
最近始めたアメブロ公式ランキングで我がブログは『仕事術』というカテゴリーに所属しているのだが、女を口説くだとか射精とか精子とかそう言う語彙があると「仕事術とはみなされませんでした」ってメッセが来て、カテゴリー内の加点にはならぬらしいのである。
おお、ランキング意味ねえじゃん、みたいな。そんなくだらないアメブロライフを送っている。
ここしばらく『仕事術』からの選定が漏れていたが、今日のテーマは仕事術になるだろうか。どうだろう。
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byきちぞう
橘玲さんの『幸福の資本論』を私も読んだのですが、その中で過去の自分のキャラの延長線上に自己実現があると書いてあります。
純粋な興味としてひとつ質問させてください。
サウザーさんは、子供の頃どんなキャラを(無意識的にでも)選んでこられたのでしょうか。
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子供の頃にどんなキャラを選ぶのか?
これは実に生殖戦略の問題を孕んでいる。
子供の頃のキャラ選びという無意識の選択も、DNAの大いなる意志に導かれて、カネと女で勝つために、周りの子どもたちの中で如何にして際立つか?集団の中での如何にしてキャラ立ちするか?を目的に、行われるのである。
ところで、読者の皆様は僕が幼少の頃より転勤族であったことはご存知あると思う。そして微妙に関西弁が堪能な事にも気付いているはずだ。
様々な地域を転々とする中で、ある時期、僕は大阪府の某地に住んでいたのであった。
バスケットボール選手として大変著名な、竹内公輔さんと竹内譲次さんという双子が、当時中学生だったところを見た事がある。(※住んでた場所と時代がだいたいバレちゃうな)
「ほう、あれが噂の」
という感じで、地元では早くから有名人であった。
お兄さんの竹内公輔さんが、206cm、98kg
弟さんの竹内譲次さんが、207cm 98kg
で、双子だ。魚住が二人居るようなものである。驚異的としか言いようがない。
魚住と言えば、バスケでは不動のセンターポジションだ。この体格の人間がチームに配置されれば、センターになるのは当然過ぎる勢いである。
ところが、同じチームにセンター魚住は二人は要らぬのである。
自然と、双子の二人は自分のキャラ立ちを考えて、お互いのキャラかぶりを睨み合いながら、別のキャラを選ぶようになる。
僕はバスケは全然分からないけど、確か薄い記憶によると、お兄さんが赤木ゴリみたいな感じでリバウンド取りまくって、一方で弟さんはダンクするわジャンプシュートするわ「ひとつ忘れてるぜ」つって3Pシュートするわのバリバリの点取り屋さんであった。たぶん。
双子でも役割を分けるのである。
かつて僕が一時住んでいた地域で、チンギスハーンばりに郷土の大英雄であった竹内兄弟の話は以上である。
で、僕のキャラか。
あまり気が進まないが、仕方ない。
幼少の頃は、遊びを考えるのが好きな子供でしたな。
面白い遊びを考案して、その遊びが面白ければ、年上のガキ大将たちも従う。面白い遊びの創出に成功すれば、威張ってるニイちゃんたちもひれ伏してすり寄ってくる。それが快感であった。
たぶんこれが自分の原点なのだろう。
僕が次にやろうとしている豪商ビジネスも、言ってしまえばレジャーで、『面白い遊びの提案』なのだから、これはやっぱり性分なのだ。
少年期の自分は、勉強も出来たし、運動も得意で、明るく快活な少年であった。チョコをたくさん貰ってくる子どもで、控えめに言っても、一族の嘱望を受けながら育った。
無意識のキャラ立ちを考えてなのか定かではないが、みんながやらないゲームという事で、信長の野望とか三国志などにドハマりし、小学生の低学年からコアなファンで、攻略本は穴が空くほど読み込み、攻略本のコラムで学んだ故事成語を用いて大人をやり込める子供であった。
「泣いて馬謖を斬る」
ですよ、先生、とか言って、担任の先生をしてムカつく不良のクラスメイトを斬らせしめていたりもした。中学生の担任はたいそう僕のことを褒めてくれたものであった。
だが、そこで調子こいてしまう性格でもあったらしく、努力や鍛錬を重ねず、大嫌いだった早熟の不良たちと同じような堕落の成長曲線を描き、周囲の子どもたちの中でキャラ立ちができず、埋没して行った。
勉強では塾通いの子どもたちに完膚なきまでに差を見せつけられ追いつく気にもなれず、運動では陸上部、バスケ部、サッカー部の子どもたちが本格的な技術を身に着け始めて体育の授業でももはや太刀打ちできず、勉強も運動も残念な、どこにでも居る子どもになっていた。
確かに、このままではマズイな、と言う感触はあった。
だが、その時は気づいて居なかったのだが、
勉強と運動
と言う、学校的な価値観の外にある能力は、着実に積み重なっていたんであった。授業を無視してずっと読んでいた本である。勉強と運動からの逃避であり堕落だった読書が、皮肉なことに、地道な鍛錬の継続だったのである。
漫画は手塚治虫から始まり最新の連載まで古今の名作をほぼカバーしていたし、司馬遼太郎の全巻読破や、各種歴史小説の乱読も然りであった。
大人になれば、勉強と運動という狭い領域以外の能力もキャラとして評価される!これは僕にとっては大いなる希望であった。
翻って自分を観察するに。
運動神経も悪くないし、頭は低く見積もっても普通のはずだが、ひとまずは頭脳系でキャラ立ちしてみよう。よって、運動は一切やめよう。
そう決意して、浪人生になって生まれて初めて真剣に学校の勉強をし、大学生になってもリア充生活を嫌って読書を続け、まごうかたなき本物の非モテになって行った、と言う次第であります。
をはり。